JAFストーリー

Episode 77 冷たい海に

小泉雅之隊員。室蘭支部。32歳。

小泉雅之隊員。室蘭支部。32歳。休みの日にすることは「サッカーですね。小学校からサッカーひと筋なんで。チームに入ってがんばってます」

去年の2月14日は日曜日だった。葛西悦子さんは昼ごろ、次男が高校に行くと言うので、送っていった。いつもならそのまま帰宅し、スポーツウエアに着替えて海までウオーキングをする。

ところがその日は、あいにく雪が降っていた。雪や雨のときには歩かない。悦子さんは、帰宅せずに車で海に向かった。漁港のわきに車を止めて、海を眺めた。

悦子さんは海が好きなのだ。

「けっこう深かったんで、下は見えなかったですね」

寒かったのでエンジンはかけたままにした。岸壁から海を覗きこんでいた悦子さんは、ほんとになにげなく、振り返った。

10メートルほどうしろに止めていたはずの車が、こちらに向かってきていた。

「とろとろとろっと。正面で止めるのはぜったい無理だと思って……ドアを開けて、ブレーキ踏もうと思ったら、ペダルに足が届かないんですよね。車は動いてるし。乗りこんだら絶対いっしょに落ちちゃうなって……ああどうしようって思ってる間にずっと進んで……いっしょに片足入ったまま、ああもう目のまえ、海と思って。そしたら転んだんですよね、私。ばたんって倒れたら、車は車止めを乗り越えて、ああって言ってる間に……」

前輪が岸壁から落ちた。車止めが車体底部に当たり、そこで止まったのである。

なぜ車が動きだしたのか、葛西さんにはいまでもわからない。Dレンジに入れたまま、だったかもしれない。悦子さんの車のパーキングブレーキは踏みこむタイプだ。踏んだ記憶はある、と彼女は言う。だが、踏みこみが足りなかったのか……。

救援要請を受けてやってきたのは小泉雅之隊員だった。車体が海に落ちかけているという連絡を受けて、もう1名隊員を要請していた。

ふたりで現場に到着。

「作業としては車を引き出すしかないので、ひとりでウインチ操作をするより、隊員同士声をかけ合ったほうがうまくできるので……」

船を繋留するボラード(杭)が車体をこすりそうだった。車体前部は海に乗り出しているので最低限の対策しかできない。が……。

「ふたりで行って作業したのがよかったと思います」

無傷で引きあげることができた。

ところで。

「たまたまその日、私の祖母の命日だったんです」

と、悦子さんは言う。なぜ、あのとき、自分は振り返ることができたのか。動くはずのない車が自分に向かって走ってきた、あのとき。

「お婆ちゃんが助けてくれたのかなとか、そんなふうには思いました」

確たる理由はわからない。けれど、振り向かなければ、背後から車に押されて、間違いなく悦子さんは冷たい海に落ちていた。

不思議な話である。

(文=松尾伸弥  写真=両角栄介)

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